1. 三信ビルについて
三信ビルの特色
- 三信ビルは、変化がめまぐるしい東京において昭和初期の空気を伝える希少な建物であるとともに、日比谷公会堂などと共に日比谷の景観形成を担う重要な建物でもあります。
- その外観は、様式主義建築に典型的な三層構成の中にアールデコや表現主義等の要素を取り込んだ、当時の建物の中でも特に優れたデザインです。また、内部は1階の2層吹抜けのアーケードが見所で、扁平したアーチが連なる空間に豊かな装飾が施され、竣工以来75年の間、訪れる人々を魅了してきました。
三信ビル周辺の状況
- 日比谷は交通利便性が高く、また銀座や丸の内にも近い恵まれた立地環境でありながら、高架や大通りが連続性を遮っていて、周辺地区からの人の流れが多いとはいえません。
- 三信ビルの南東は、千代田区が「有楽町日比谷地区」として地区計画を定め、良好な都市景観の形成と活力あるまちづくりを目指して、歩行者ネットワークの形成が図られています。
- 一方、北東には日比谷公園がありますが、日比谷通りが歩行者の流れを寸断しており、せっかくの緑豊かな環境を活かしきれていません。
日本では数少ないパサージュの雰囲気を持った素晴らしい内部デザインだと思っています。この内部が生かせるならなんと素晴らしいことかと思います。
素天堂さま。はじめまして。コメントありがとうございます。
三信ビルのアーケードはすばらしい空間です。
この空間は、何にも変えがたいものだと思います。
今後ともよろしくお願いします。
夏休みになると、地下鉄に乗ってディズニー映画を見に来た懐かしい街日比谷。その一画にある三信ビルに初めて足を踏み入れたのは、1970年代の終わりごろ、大学生の兄が「とびきり旨いハンバーガーを奢ってやる」といって、ニューワールドサービスに連れてきてくれたときのことでした。
それから日比谷は私にとって、もっと大切な場所になりました。数え切れないほど三信ビルに会いにきました。あの、真鍮のバーのついた重い扉。階段。あそこに三信ビルがある、ということが、私にとっての東京です。
プランでは、三信ビルをながめる広場が用意されていますが、三信ビルだけでなく、かつて隣にあったライトの帝国ホテル、日比谷公園、劇場などとともに形成されていた日比谷の街の面影にも敬意を示せるような何かができないものかと思います。
braryさん
貴重な体験談とご意見、ありがとうございます。
街の風景は時間の経過と共に変わっていきますが、
三信ビルのような街を代表する建物が残っていれば、
かつての街の姿が語り継がれることで、
共有できる街のイメージが築かれるように思います。
そして、新しい建物がつくられるときに、
その共有されたイメージが引き継がれていく。
そんな「まちづくり」の形があっていいように思います。
微力ではありますが、
このプロジェクトが日比谷のまちづくりのきっかけになれれば、
とてもうれしく思います。
東京新聞でこちらのプロジェクトの紹介を拝見しまして訪問いたしました。昭和初期の貴重な建造物の保存のため運動をされるとのこと。貴重な試みだとおもいます。
ただ、記事で多少気になりましたのは、保存の動機として、「昭和初期が「ファシズムに突き進む暗い時代」というイメージでくくられることに違和感があった。三信ビルは「(時代の)華やかな部分のにおいを感じる」ことができる場所で、それを解体されたら「歴史の改変にもなる」と思った。」というふうにメンバーの方の発言が引用されていたことです。
こちらのページではこのような説明がないため、本当のところはよくわかりませんが、この理由には違和感があります。
昭和初期がどれほどモダンな華やかな時代であろうと、やはりファシズムの登場は事実ですし、あなた方や私自身のような若い人たちの中で「左翼」とみなされた人たちの多くが検挙投獄され、拷問死したりした時代なのです。また、近隣諸国への侵略も頂点に達した時代でもあります。このことから目を逸らさず、当時の「華やかな面」を認めないことが、「歴史の改変」になるというのは、言葉の使い方が逆なようにおもうのです。三信ビルが象徴する昭和初期の華やかさも、そうした悲惨さの上に咲いたあだ花だということは忘れたくありません。そういう意味で、この時代の建造物の保存には歴史的価値があると思います。
あなた方の運動が、洗練された言葉遣いの歴史否定主義運動とならないことを願っています。
雅さん、はじめまして、ご覧いただいた東京新聞でご指摘の発言をしていたスズキです。
まさしくおっしゃるとおりで、私も一応近代史の研究者を志しておりますから、雅さんのご指摘は全面的に首肯すれど何も反対することはありません。
書いていただいた記事に文句をつけるように思われると困るのですが、インタビューのときというのはやはり緊張するもので、印象的(よくもわるくもキャッチィ)な言葉のみが採用されてしまったのではないかと思ってます。
私の研究関心は日本のモダニズムといわれる時代にあるのですが、この時代はまさに雅さんがおっしゃるように、日本の帝国化とパラレルで進んだ時代です。三信ビルがもつ華やかさや明るさの裏に、マルキシズムに対する弾圧や、ゆがんだ植民地政策があったのも確かです。
ただし、私が伝えたいと思ったことは、まどろっこしく聞こえるかもしれませんが、モダニズムの時代にはそういう闇もある、ということすら忘れられがちであり、それに拍車をかけるように明治期(比較的日本の近代化のなかで健全なナショナリズムが見られた時代です)の建造物はかろうじて指定されるけれど、昭和の建築は「負の遺産」として一括されてしまう傾向に、私は疑問を感じてしまう、ということでした。
ですから、雅さんと同様、私も「仇花」だからこその価値を昭和期の建築には見ております。歴史否定主義運動と思われることは残念ですが、私の意図がそこにはない(またもちろんほかのメンバーは純粋に三信ビルを大事に思っての参加です)ことをおわかりいただければ幸いです。長いコメントとなり失礼しました。
mixiからたどりつきました。
私は、日比谷界隈で生まれ育ちました。
帝国ホテル内の郵便局へいくときに味わった重々しいほどのセピア色の重厚感。
三信ビルの吹き抜けと階段てすり。
これは私の中でセットとして残る思い出です。
ふるさとという歌があります。
兎おいしかの山や、川・・・
東京をふるさとにもつ人間にとって、それは東京タワーや外苑の銀杏並木だあったり、、ビルや街並みなのです。
むずかしいことはわかりません。でも、
イタリアを旅してきました。なにか気概を感じました。
耐震などの問題もあると思います。
すべて滅して殺すのではなく、活かしながらの建て直しがされることを切望しています。
kuroppeさん、sayaさん、コメントありがとうございます。
本当に、この国、特に東京は近代建築がすぐに壊されてしまいますね。。。これまではまだ「近代」は歴史ではないから、と言われてきました。でも、そのままでは気がついたら何もないという索漠たる風景になってしまいそうで、肌寒くなります。
所有者の方々も、負担や維持費といったことを考慮すると解体せざるを得ないのかもしれません。こうなってきますと、何かしら行政の支援といった現実的な方策が採られない限り、三信ビルを残すことは難しいのが現状のようです。
Hello Takane, I have sent several emails to the email address listed on this site and I have not received a reply (my email address is ijm@best.com). I think there are many people who would like to help save the building. I would suggest some information in English and also someone that could reply to emails. onegaishimasu. :)
I also have to say, though I am sure the building needs earthquake retrofitting, I doubt seriously that is the reason for the decision to demolish the building. Mitsui Fudosan (
http://www.mitsuifudosan.co.jp) is a huge development company who is interested in large redevelopment projects. This building I am sure is in the way of this development project and to save it would most likely mean some limit on their profit for the project.
As I understand it, please correct me if I am wrong, but large scale development projects are not presented to the communities in a very democratic manner in Japan. For example, the pending construction of route 54 in Shimokitazawa. No one in Shimokitazawa wants the road (except a few landowners who will make lots of money) but the Tokyo/Setagaya governement still proceeds with the plans. Of course the reason why is the money to be made on the redevelopment, the new retail and residential buildings, etc.. I am sure it's the same thing with the Sanshin building.
Even though it's important to save the Sanshin building I think the issue is much deeper. It's about community control over development in their area.
Minoru Mori plans to build 5 more Roppongi Hills style developments in Tokyo. He is the person behind Omotesando Hills and the demolition of Doujunkai. It seems that unless communities organize and voice their opinion about these projects much stronger, these projects will get the green light and lead to further loss of both historical architecture and the loss of unique, liveable neighborhoods in and around Tokyo.
Immanuel
immanuel, thank you so much for the siginificant comment. first, sorry for the non-reply. our project is run by mainly mr. urakawa and me, and he tries his best to response as soon as possible, but the amount of e-mails he needs to answer has increased drastically during these two monthes. since i am not good at using computers, i can not share the work with him. i will send you an e-mail to your personl address today, and lets discuss the problem we are facing now.
そうです! このビルは残すべきビルなのです。
私、1階にある古びた喫茶店が大好きだったのに。
おじさんの「いらっしゃいましぇ」というのも好きだったし。
あのレトロな感じ、たまりません。
最近ではビルが死んだようになっていて悲しいばかりです。
残して欲しい。
ファンキーさん、はじめまして。コメントありがとうございます。ニューワールドさんは年内は営業しているとのこと、私もついビルに足を運ぶのが寂しくて、最近はすっかり訪れておりません。ですが、そろそろめそめそしてないで、行かないとならないなと思っています。
ほんとに、残してほしいです・・・。年内にまた頂いたご署名を
行政にはお渡しする予定ですので、よろしければお願いいたします。
第一に所有者の努力であるが。歴史建築は所有者だけでなく、国、東京都などの協力で保全再生の方法を考えてほしいものである。長い間,多くの人達に親しまれ、愛されてきた歴史建築の開発的保全再生について再検討をお願いします。